今週は、悩んだ。
自分は何のために生きているのか、これ以上何を目標に生きるのか、わからなくなった。
土曜日の朝、おもむろにGoogle Mapを開く。
遠く離れた群馬県に、ポツンとピンが立っているのに気付いた。
昔、全国の岡本太郎作品を見に行こうと思った時にチェックしておいた『太陽の鐘』である。
そうだ、たろうに会いに行こう。

今日の渋谷はなんだか普段より落ち着いているように感じた。
今まさにこの町を離れようとする男の存在に気づき、改心でもしたのだろうか。
お前のそういうところが嫌いである。さよなら。
はやく電車に乗りたい気持ちだったが、次の急行は一時間後。
どうにか早くこの町を出たくて、時間稼ぎだとわかっているのに、
普通電車に飛び乗った。
高崎までは2時間半。スマホを見ようと思ったが、昨日までの蓄積か、
目がブルーライトを拒んで仕方がない。
ただ黙ってボーっとすることに決めた。
久しぶりに過ごす空白の時間。
昔は十何時間過ごしても平気であったが、今では不安と自責が絶えず襲い掛かる。
こうしたことを書くと、周りの人に余計な心配をかけてしまうことが多いが、
思いだしてほしい。私は表現者である。自分はなぜ生きているのか、とか、
不安で眠れなくなる、とか、
私たちにとってはそうしたことに使う時間が生きる意味なのである。
空白、空白、空白、、、
永遠に感じる時間の中で、私はこの電車がどこへ向かうのかが気になった。
そこは本当に私が行きたい場所なのだろうか。
はたまた、孤独を紛らわすために、ただなんとなくここに座っているのだろうか。
答えは出ない。
何となく座って、何となく生きる意味を考える。
もう少しで生きる意味の答えが出そうになったところで、時間が切れた。
ぞろぞろと降りる人波を見て、もしこの電車に一人取り残されたら、
そんな恐怖心と共にそそくさと外に出た。

なんだよ、文句でもあるのか。
駅に設置されていたダルマと数分間睨みあった挙句、耐え切れずに目をそらした。
死んだ目をしたダルマの胴体には、デカデカと『祭』と書かれてある。
そうか、お前は使命があるのか、必要とされているのか。
自分が負けた理由を何となく感じたところで、町へと繰り出した。
何の変哲もない町。始めて来るけど、想像通りのそれだ。
そうだよな、高崎。
勝手に期待して、勝手に遠くからきて、勝手にがっかりする俺が悪い。
そうしてそばを食べた。

バスに乗り換え、本来の目的地へと向かう。

Times駐車場に、痛車が停まっている奥に、それはあった。
たろうの世界がそこに宿るように、川と緑に囲まれたソレは、
赤ん坊のような輝きと、老人のような慎ましさを放っている。

友のもとへと歩いてみる。たろうがそこで俺を待っているような気がした。
撞木はどこまでも長く、通り道の邪魔になるほどだ。
そんな無礼ともいえる彼の姿にも、心許す友への愛を感じる。

相変わらずだな。鐘の上で踊る人々を見て、昔を思い出す。
鐘に手を触れてみると、その温かさは、たろうの心そのままであった。

中を覗く。
「何かあると思っただろう?引っかかったね。」
そんな声が聞こえる。俺とは真逆の、どこまでも少年な奴だ。

彼は、まったく、愛されている。
その事実を認めたくないが、恋焦がれるのは人間の性である。
俺はどこまでもロボットにはなれない。
サル山に生まれ落ちたオランウータンなのか、はたまた醜いアヒルの子なのか。
わからないが、誰かになったのは確かだ。
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