「リンリンリン…」真っ暗なマングローブを頭につけた電灯で照らしながら、ゆっくりと進む。
カヌーは「ザバッ、ザバッ」と音を立て水を掻き分ける。時刻は午前4時半。
上空を見ると、キラキラと輝く天の川を流れ星が通り過ぎるのが見えた。
「もうすぐ、お目当てのスポットですよ~、はぐれないようにね~」
ガイドの金田さんの声が聞こえる。私はハッと視線を戻し、またパドルをこぎ始めた。
ここは西表島。島全体が世界自然遺産に登録されている、動植物の楽園だ。
なかでも、6月から7月にかけては、マングローブの奥に咲く幻の花「サガリバナ」を見ることができる。今回私は、ツアーガイド「くらげ」さんのサガリバナツアーに参加した。
サガリバナは、初夏のこの時期だけに見られ、夜中に咲き、その日の日の出までには散ってしまう。
この季節はこれを目当てに島に来る人も多いほど、西表島を代表する植物だ。
遠くで鳴く鈴虫や野鳥の声に耳を澄ませながらカヌーを漕ぎ進めると、金田さんが懐中電灯を照らした。
「今日は当たりだね。ほら」
じっとその方を見ると、キラキラと輝く房が水面めがけてぶら下がっている。房には薄いピンク色をした綿毛のような花がいくつか咲いており、その姿は、はかなくも美しい、バレリーナのようだった。
「ここからはよく目を凝らしてマングローブを見るんだよ。」
そう言われて私はもう一人の隊員と共に懐中電灯でマングローブを照らし、息をのんだ。
頭上で咲く、その植物をじっと眺める。気が付くと、東の方から朝日の光が差し込み始めていた。
すると、花の一つが「ポトン」と音を立てて水面に落ちた。その花はゆっくりと流れ、私たちのカヌーにぶつかる。親指と人差し指でそっとつまんで手のひらに乗せると、短い一生を終えたばかりの命のはかなさが肌を通して伝わってきた。
「ポトン、ポトン、」
日の出が近づくとともに、一つ、また一つと花は命を終え、マングローブの流れに身を任せ、ゆらゆらと流れていく。
そうして流れてきた花たちを、手で拾い上げては、カヌーの上に乗せる。
幻の花で彩られたカヌーはまるで自然が与えてくれた美術品のようだった。
気が付くと、さっきまで真っ暗だったマングローブは、懐中電灯無しでもしっかりとその姿がわかるように、日の出を迎えていた。この島に、また新たな朝が来たのだ。
都会にいたときには感じることのなかった、一日一日の尊さが、地球の偉大さが、この島ではいつも感じられた。周りを見ると、この三か月、この島で苦楽を共にした仲間がいる。
「写真、とってあげるよ」
カヌーに揺られながら、水に落ちないように、そっと携帯を渡す。
あれから、仲間たちとは連絡が途絶えてしまった。
でも、それでいいんだと思う。私たちがこの島で一緒に過ごした日々は、いつまでも残り続けるんだ。
「また、しんどくなったらいつでもこの島に帰ってきていいんだよ」
島から帰るとき、お世話になった金城さんにそう言われた。
当時は、まだ学生で、その言葉の真意を深く考えることはなった。
島から帰ってからいろいろなことがあった。
そのたびに、金城さんの言葉を思い出す。
私には帰る場所がある。
この島は、自然と人の温かさに包まれる、優しい島だった。